頑張ることに意味はあるのか?

朝活記録

頑張ることに意味はあるのか?

「頑張る」とよく口にしたり、耳にしたりしませんか?
 また、自分は全然頑張れていないと自己嫌悪に陥ったり、もっと頑張らないとと自分を追い込んだりしていませんか?
 時には、頑張りすぎて精神的にまいってしまい、うつ病になる方もいるかもしれません。
私たちは、幼い頃から学校教育で「頑張ること」は美学のように教えられてきたと思います。
 私自身も「頑張ること」は、正しいことだと思って今まで生きてきました。

ここで一つ疑問がわいてきませんか??

  頑張るってどう言うこと

 ここまで、頑張ることは・・・と書いていましたが、そもそも頑張ると言うことはどう言うことでしょうか?

 この記事では、このような疑問を持っている方にオススメです。
 ・本当に頑張る意味ってあるの?
 ・頑張る意味って何?
 ・頑張るのは疲れるから嫌
 ・楽して生きていたらダメなの?
 日頃こんな思いになる方に読んでいただけたら、頑張るってそんな大したことじゃないよって思ってもらえる記事になっていますのでぜひ読んでいってください。

 まずは、人それぞれの解釈があると思うので、言葉の定義を確認したいと思います。

「頑張る」定義

 困難にめげないで我慢してやり抜く。

 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我 (が) を張る。

 ある場所を占めて動かないでいる。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

 辞書ではこんな定義がされています。
 どうでしょうか?
 なんとなくですが、1の「困難にめげないで我慢してやり抜く」と言うのがみなさんのイメージする頑張るではないでしょうか。

 それでは、我慢して何かをやりぬくことについて考えていきたいと思います。

我慢する必要はない!

 「我慢強く」「石の上にも三年」など我慢に関しては、いろいろな言葉があります。
 頑張ると言うことは、「我慢をしてやり抜くこと」だと定義しましたが、我慢をする必要ってどこにあるでしょうか?

 例えば、「仕事をやりたくないけど、生活ができないから我慢して働いている」とか「どこにも出かけたくないけど、友達との付き合いで遊びに行かなくちゃいけない」など。
 社会人に限らず、子供から大人まで日々我慢をして生活していると思います。

 でも、これって本当にそうでしょうか?

 一旦、フラットに第三者目線で考えてみませんか?
 先ほど記載した「仕事をやりたくないけど、生活できないから我慢して働いている」と書きましたが本当に我慢して働く必要があるのでしょうか?
 もちろん、生活は大事ですし、パートナーや子どもがいれば生活のためにお金は必要です。

 では聞きます。

 それって、体を壊してまで続けたいですか?

 体を壊すんだったら、そんな仕事やめるよ!って思いましたよね?
 ほら、やめれるじゃないですか!生活のためにもやめないといけないですよね?
 体を壊すと言うのは、極論にはなりますが、仮にその仕事をやらなくても生活することはできるんです。なので、無理をする必要って”絶対”ではないんです。

 友達の誘いも同様です。嫌なら断りましょう。
 我慢してまでいく必要は、ないです。

 



結果がそう見えているだけ!

 「頑張らなくてもいい」こうやって言うと必ず、頑張った先に、何かがあると言う方がいます。
 それは、そうだと思います!間違い無いです!
 でも、頑張らない先にも何かは必ずあります。どっちも一緒です。

 勝手に、そうやって植え付けられているだけです。
 確かに、山の頂上でしか見えない景色もあるでしょう。でも、登らずに別の山を見ると言う経験も素晴らしいのではないでしょうか?
 頑張ることだけを美化する必要はないです。

イチロー選手を持ち出す人

 こうやって書いていくと、「やりたいことをやる」とか「すきなことをやる」と言う方が出てきます。
 わたしは、それも一理ありますが、そうでもないと思っています。

 イチロー選手に例えて、野球がすきだったからあんなに続けられた。頑張って、すごい記録を作ったんだ!って言う人がいますが、それは違うと思います。

 この動画からも、プロ野球選手になってからは、心から楽しむことはできなかったと言っています。

イチロー選手の発言からもわかるとおり、「楽しい」「好きだから」「やりたいことだから」と言う理由だけでは、やはりあの大記録は生まれないんです。

 あれだけの、記録を作った人でさえ、生まれ変わったらもう一度野球選手になりたいかと言われたらやりたいとはっきりは答えれないと言っています。それだけ、過酷な世界であったことが伺えます。

 「やりたいことをやる」「すきなことをやる」と言うことは、大切なことだとは思いますが、あくまできっかけにすぎず、それを頑張っていくことの原動力とできるかについては、また別の次元の話になると思います。

取り敢えず、行動すればOK

 ここまで、「頑張らなくていい」「やりたいことをやる。すきなことをやる。だけではダメ」と書いてきましたが、じゃあどうすればいいの?と思われるかもしれません。

 それでは、結論です。

 行動すればOK 

 頑張ることに意味は、ない。ですが、自分で決めたことに意味があると思っています。それは、しっかりした意思という大それたモノではなくていいです。
・今日は、どこどこ行こう。
・今日は、何食べよう。
・こんな仕事してみよう。
・やっぱりやめよう。
・残業やりたくないから明日にしよう。
・今日中にこの仕事は終わらせよう。
・今日は友達と遊ぼう。
・今日は家でゆっくりしよう。

 こんな毎日の”いま”を大事に生活するだけで十分だと思います。

 でも、自分が行動できないから・・・と思う方もいるかも知れませんが、行動しないと言うことは、人間できません。
 行動しないひとも行動しないと言う行動をすることになります。

 行動しないことも立派な行動です。

後悔は100%する 

 最後に”後悔”についてお話しして、終わりにします。
 簡単です。後悔は、”100%”します。

 後悔しない人生は、ありません。
 仮に道が2つに分かれいるとき、人間はどちらかにしか進めないです。と言うことは、一方の可能性はわからなくなってしまいます。選んだ道は、どちらも過酷です。
 「あっちの道を選んだらどうだったのかなぁ」と思うのは必然です。

 後悔しないために人生生きるのは、不可能だと考えて、気楽に今の自分が考えて思ったことを続けていくしかないです。そして、後悔した時には、その時に自分が最善だと思う行動をするしかないです。
 後悔してもOKそれもまた人生の一部。

 人生は、戻ることができないので、そのときの自分で決めれる最良を探しましょう。

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